(4)往時を偲ぶ古文書と石灯籠
秋葉神社には江戸時代の徳川御三家をはじめ、大名や奥方、大奥女中の寄進状や沢山の石灯籠がありました。関東大震災や特に東京大空襲により、多くの灯籠が倒壊し、今では見る影もありません。
境内に現存する灯籠は、宝永元年(1704)に老中本多伯耆守正永が一対、宝永2年(1705)に旗本の関東郡代・前橋城主伊奈忠宥(ただおき)が一対、宝永6年(1709)に忠宥の息子で前橋城主酒井雅楽頭(うたのかみ)源忠挙(ただたか)が一基、寛保3年(1743)に酒井雅楽頭の娘で松平甲斐守吉里の奥方になった源頼子が一対(写真2)を奉納した合計七基が往時の面影を偲ばせています。灯籠は全て墨田区登録有形文化財です。

「すみだの史跡文化財めぐり」(教育委員会編)には「大名たちの寄進物が現存する貴重な例であり、秋葉神社に対する信仰のあり方が伺える」と記されています。
秋葉神社には江戸時代からの古文書が100余点ほど伝存されています。墨田区にとって、最も貴重な資料の一つで、教育委員会により「墨田区古文書集成1・秋葉神社文書」(昭和62年3月発行)としてまとめられました。その中には当時の諸大名からの寄進帳や請地村人別帳などの記載があります。
(5)南向きだった旧社殿
写真3は、明治40年(1907)頃の秋葉神社社殿(写真奥の建物)及び神楽殿(手前の建物)の様子です。 境内の南側から北奥にある社殿を見た景観です。

戦災に遭遇するまでは、社殿は境内の北側位置し、水戸街道を背に南向きに建てられていました。
写真4は、写真3の神楽殿奥に写っている社殿です。昭和6年(1931)に建立された現在の鳥居が写っていないので、この写真の撮影時期はそれ以前と思われます。

(6)境内に温泉があった
明治17年(1884)に、広い境内の北西部奥(現言問小学校東隣)約千坪の土地に、行楽宿泊施設「向島有馬温泉」が建設されました。この温泉は兵庫県の有馬温泉から湯花を移し開業しました。現在のスパ・リゾートを思わせる様な行楽施設であったのだと思います。その後、この施設は無くなり、「有馬温泉」の名にちなんだ銭湯「有馬湯」になりました。
現在は有馬湯もマンションに建て替わっています。その入口の壁には有馬温泉の詳細を紹介した銘板「向嶋有馬温泉縁起」が掲示されています。
図5は、その銘板に刻まれた有馬温泉の絵で、山本松谷(*4)が描きました。
この有馬温泉を、明治時代の錚々(そうそう)たる文化人たちも、会合の会場として使っていたようです。

(7)境内に水戸街道が通る
大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災後の復興事業による区画整理と共に既に計画されていた国道6号 (水戸街道)の建設が進みました。これにより秋葉神社の境内は、本殿の裏が道路にかかり、境内は分断・縮小されました。昭和6年(1931)のことです。
私は言問小学校に通い始めた昭和23年(1948)頃、戦災で焼失した秋葉神社本殿焼け跡の基礎石垣の裏を通り水戸街道を横断し通学した記憶があります。
当時、水戸街道には都電が通っていました。秋葉神社のすぐ裏には、終点「向島須崎町」停留所がありましたが、昭和25年(1950)には「寺島広小路」まで延長開通しました。
(8)戦後の復興、現在の秋葉神社へ
戦前までの秋葉神社は、前述の通り氏子を持たない崇敬神社でした。しかし、戦後になって飛木稲荷神社の氏子であった請地北町会(現向島四丁目北町会)が、地元の秋葉神社を氏神様としてお守りすることになりました。境内の北側には、戦後の混乱期があり、商家が建ちました。

写真6は、昭和40年(1965)頃の境内南側の様子です。現在の社殿が再建される前で、鳥居の右柱の奥には、現在も補強されてしっかりと建っている「常夜灯」と、若かりし頃の「ご神木の大イチョウ」が並んでいます。正面奥には仮社殿が写っています。
昭和41年(1966)9月、地元崇敬者等の奉賽により、現在の社殿が再建されました。現社殿が建つまでお祀りしていた「仮社殿」(写真7)は、当時の状態のまま、現社殿の右隣に移設されました。
この頃の第12代千葉栄宮司(*5)や町会の先人たちの社殿再建に向けた苦労や意気込みが、当時の「町会報」に記されています。 町会の祭礼は毎年9月中旬の土~日曜日に行われています。

秋葉神社では、最も大切な行事である「鎮火祭(ちんかさい・ひしずめのまつり)」が毎年11月17・18日に執り行われています。江戸時代から続く、この日の式典には、本所・向島消防署両署長・小梅出張所長をはじめ地元の崇敬者、遠隔地からの崇敬者の参詣があり、火の恩恵に感謝し、火災から守る火伏の霊験が祈願されます。
〈注〉
*4 山本松谷は、報道画家・日本画家。
*5 千葉栄宮司は、東洋大学名誉教授、東京府立第七中学校(現在の都立墨田川高校)を卒業、筆者の
母校同窓会第四代会長。筆者の大先輩。