「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

第1章 曳舟川のはなし
6、明治以降の曳舟川(二)

(3) 北原白秋と曳舟川  詩人の北原白秋(*2)をご存知のことと思います。明治末期から昭和初期にかけて「からたちの花・この道・ペチカ・あわて床屋・待ちぼうけ・ゆりかごの歌・砂山・城ヶ島の雨等々」、私たちが子供の頃に唄ったり聞いたりした歌の...
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第1章 曳舟川のはなし
7.曳舟川通りへ(一)

(1)曳舟川の廃止・埋め立て 昭和5年(1930)荒川放水路の完成により、曳舟川は分断されました。川に流れがなくなり、併せて沿岸の工場や民家からの排水による汚染が始まり、遂にはドブ川と化しました。          太平洋戦争末期の昭和19...
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第1章 曳舟川のはなし
8、曳舟川通りへ(二)

(3)東武の高架化・駅前に歩道橋 昭和42年(1967)、東武伊勢崎線(現スカイツリー線)の高架化工事が完成しました。曳舟通りはアンダーパス(掘り下げ式立体交差)になり、水戸街道と明治通りも共に踏切がなくなり、渋滞が大幅に緩和されました。 ...
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第1章 曳舟川のはなし
9、曳舟川の主な橋

(橋の位置は末尾の図3参照) (1)更生橋(更正橋)(こうせいばし) (八広6―9) 「更正橋交差点」の位置に架かっていた橋です。鐘ヶ淵通りと共に昭和8年(1933)2月に完成しました。 八広小学校(八広5―12)の校庭に「更生橋」と彫られ...
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号外 
「橋の名称」が歩道敷石に表示されました

曳舟川通りに、川であった当時に架かっていた下記3箇所の橋の名称が、各交差点横断歩道そばの歩道敷石に表示されました。近々、橋の名称の由来を記した説明版も設置される予定です。お出掛け・散歩などのついでに確認してみて下さい。
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第2章 曳舟川周辺の歴史
1.荒川と荒川放水路

(1)近世の三大災害  すみだの町は、明治時代末期以降、僅か35年の間に、首都圏を襲った極めて大きい災害に三度も遭遇しました。 すみだの三大災害とは、 ・明治43年(1910)の大洪水・大正12年(1923)の関東大震災・昭和20年(194...
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第2章 曳舟川周辺の歴史
2.関東大震災

大正12年(1923)に発生した関東大震災の復興事業がほぼ完了した昭和5年(1930)、都立横網町公園(横網2丁目)内に、震災の身元不明の遺骨を納め、霊を祀る「震災記念堂」が建設されました。設計したのは、多くの著名な建築物を手掛けた伊東忠太...