慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん 794-864)は比叡山延暦寺の三世天台座主になった高僧です。前月号で紹介した「牛嶋神社」を平安時代初期(860年)に創建した同じ頃、区役所近くの如意輪寺(吾妻橋1-22)も開山したと伝えられています。更に、東京(江戸)を代表する古刹「浅草寺」(創建628年)の、伽藍整備を行い、御前立(おまえだち・注1)を刻みました。その結果、それまでは寒村の一寺院であった浅草寺は、信者の層が一層厚くなり栄えました(現在では年間三千万人が訪れると言われています)。以来、浅草寺では慈覚大師を「中興開山」と呼んでいます。(浅草寺由緒)
仏教というと天台宗宗祖「伝教大師最澄」(767-822)や真言宗開祖「弘法大師空海」(774-835)を思い浮かびますが、世界の歴史学者の間では、慈覚大師円仁を「日本仏教の興隆に最も貢献した僧侶の一人」と言われているそうです。今回は、平安時代初期に牛島(現在の向島~両国界隈)の社寺創建をはじめ隅田川沿岸で、民の安寧を祈り、巡錫(じゅんしゃく・注2)し活躍したと伝えられる慈覚大師円仁の足跡を紹介します。

円仁は延暦13年(794)、今の栃木県下都賀郡の壬生家に生まれました。早くに父を亡くし、母と兄に育てられました。九歳の時、近くの名刹大慈寺(現存、栃木市岩舟町)の高僧広智(こうち)に預けられました。
大同3年(808)、円仁が15歳の時、広智に伴われて、比叡山延暦寺の天台宗宗祖最澄の弟子になりました。最澄の下で厳しい修行に励み勉学に勤しみ、有能な僧侶となりました。24歳の時、最澄に随行、関東の普及の旅に出ます。
最澄は、学問僧として抜きん出ていた円仁に、後の天台宗を託し、弘仁13年(822)、56歳で入滅しました(円仁29歳)。
円仁は、宗祖最澄との約束「東北地方の巡錫」の旅は、その後、全国に及びました。円仁の由緒寺社の数は600を超えているといわれています。(天台宗祖大法要)
承和5年(838)、円仁45歳の時、求法(ぐほう注3)僧としての勅命(注4)が下り遣唐使の一員になり唐に渡りました。唐では遣唐使の一行と別れ、弟子2人を伴い足掛け10年の求法と巡礼の旅をしました。途中、会昌5年(845)、武帝の仏教弾圧・廃仏等の危険な社会状況にも遭遇、苦難の旅を終えて、承和14年(854)、多くの仏典・仏画・書写等を携え帰国しました。
この間、円仁は日記を欠かさず、見聞した様子を記しました。日記は「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」と名付けられ、当時の貴重な記録となりました。
帰国後も、求法を極め熱心に全国布教活動を続けました。牛嶋神社、如意輪寺、浅草寺、待乳山聖天等の円仁とのご縁もこの頃のことです。
仁寿4年(854)、円仁は比叡山延暦寺の三世天台座主(注5)に就任しました。
仏教の歴史書といわれている「日本往生極楽記」には、「仏教が中国から伝わってきた半分は慈覚大師によるもの」と記されているそうです。(台泉衲談抄)
貞観6年(864)、円仁は数々の功績を残し、71歳で入滅しました。
円仁入滅2年後の貞観8年(866)、清和天皇からその功績に対し、「慈覚大師(じかくだいし)」の諡号(しごう注6)を、同時に宗祖最澄は「伝教大師(でんぎょうだいし)」の諡号を賜りました。この2人が日本で最初に大師号を戴いた僧侶です。因みに空海が「弘法大師」の諡号を醍醐天皇から戴いたのは、55年後の延喜21年(921)、空海の入滅86年後のことです。
円仁が著した「入唐求法巡礼行記」は世界三大旅行記の一つと言われています。
一つは、玄奘三蔵の「大唐西域記」、もう一つは、マルコ・ポーロの「東方見聞録」です。
「大唐西域記」は、玄奘三蔵が629~645年、長安を出発し、天山北路を経てインドに入り、ナンダーラの寺で学び、仏像・仏舎利・経典等を得て長安に帰る迄の17年間の記録です。しかし、これは玄奘三蔵が書いたものではなく、帰国後、皇帝の命で三蔵が弟子の弁機に体験を伝え、纏めさせた書です。
「東方見聞録」は、1271~1295年、ベニスに生れたマルコ・ポーロが、貿易商の父に連れられ元で皇帝に仕え、元での生活とその往復24年の記録です。しかし、これもマルコ・ポーロ自身は書いていません。ポーロが帰国すると、故国ベニスはジェノヴァの戦いに敗れ、ポーロは捕虜として投獄されました。獄中で、物語作家のルスティケロがポーロの体験談を筆録したものです。
円仁自身が直接見聞したことを、その時に自ら記録している「入唐求法巡礼行記」は三大旅行記の中で歴史的評価が群を抜いて高いと言われています。当時の仏教寺院・国民の生活・政治経済の様子・遺跡の状態等多岐にわたる詳細な記録は、中国にも残されていないため歴史的価値が高いのです。この「入唐求法巡礼行記」の存在を、世界の歴史学会に広めたのはライシャワー元駐日大使(1910-90 注7)です。同大使は、ハーバード大学の東洋学教授でした。
〈注〉
注1 御前立 ご本尊の前に安置し、礼拝する仏像
注2 巡錫 僧が錫杖を持ち各地で、教えを広める
注3 求法 仏の教え・悟りの道を求めること
注4 勅命 天皇の命令
注5 座主 大寺を統括する最高位の僧職
注6 諡号 貴人・僧侶等に、死後、生前の行いを尊び、天皇から贈られる称号、贈り名
