第2章 曳舟川周辺の歴史
6.吾嬬神社の伝説

 墨田区の郷土史には欠かすことができない史跡のひとつが、区内で最も古い伝説がある「吾嬬神社
あづまじんじゃ」(写真1/住所 立花1―1―5)です。

 明治38年(1905)発行の「東京府南葛飾郡全図」に、鳩の街通り(向島5丁目と東向島1丁目の町境)から新あずま通りを経て十間橋(じっけんばし)際までの道に「吾嬬森道(あずまもりみち)」の名前が記されています。「吾嬬森」とは吾嬬神社のことです。 

(1)吾嬬神社のご祭神

 吾嬬神社は北十間川(きたじっけんがわ)に架かる福神橋際、明治通りを挟んで花王すみだ事業所(旧花王石鹸東京工場)の向い側に鎮座する古い神社です。神社の名前で気付く人がいると思いますが、旧向島区の町名のひとつ「吾嬬町(あづまちょう)」、この「吾嬬」の町名の由来が吾嬬神社です。また、隅田川に架かっている「吾妻橋」(古くは大川橋と称した)は、吾嬬神社参拝に向かう北十間川沿いの道に通じることに由来し、名付けられたと言われています。現在は、橋の名前が付近の町の名称にもなっています。
 吾嬬神社の創建時期は定かではありませんが、ご祭神は弟橘媛(おとたちばなひめ)と倭建命(やまとたけるのみこと/日本武尊とも書く)です。この二人の名前は耳にしたことがあると思います。倭建命は第12代景行天皇の皇子で、弟橘媛は命(みこと)のお妃です。吾嬬神社には、墨田区内でも極めて古いお二人にまつわる伝説があります。

 (2)倭建命と弟橘媛

 倭建命は父景行天皇から東国の鎮圧をするよう命じられました。命(みこと)一行は相模の国 (神奈川県)まで来ました。三浦半島から浦賀水道を、船で横断し上総国(千葉県)木更津に向かいます。しかし、海上で暴風に遭い進むことも戻ることも出来ず大変難儀をしました。
 この時、命に伴われてきたお妃の弟橘媛は、船が沈没する危険を感じ、荒れ狂う海神の心を鎮めるために、自ら海中に身を投じました。すると海上は瞬く間に穏やかになり、命一行を乗せた船は海上を走る様に進み、全員が無事、木更津に上陸することが出来ました。このことから船出した場所を「走水(はしりみず)」と言う地名が付けられたとの言い伝えがあります。浦賀水道は流れが速かったことから走水と呼ばれていたとの説もあります。
 倭建命は東国の平定を終えて、東京湾奥の浮洲まで来ます。そこには弟橘媛が身に着けていた衣・櫛(くし)等形見の品が流れ着いていました。命はこの地に弟橘媛の形見の品を納め築山をきづきます。このことから、この辺りが当時の東京湾海岸線であったと推定できます。
 伝説では、命がこの場所で「吾嬬はや(吾がつまよ)!」と叫んで媛(ひめ)を偲んだことに因んで、後に創建されたお社の名称が吾嬬神社になりました。また、ここに命が食事に用いていた楠の木の箸(はし)二本を刺すと、やがて箸に根・枝が生じ相生(あいおい)のご神木になったと言われています。江戸時代には「吾嬬の森 連理(れんり)の楠」とあがめられ江戸名所にもなっています(同社由緒書他)。
 図1は、歌川広重画「江戸名所絵図」の中にある吾嬬神社を描いた「吾嬬の森 連理の梓」と題した版画です。吾嬬神社のある現在の地名「立花(たちばな)」やキラキラ橘商店街の「橘(たちばな)」の名前はいずれも神社のご祭神「弟橘媛」の「橘」が由来なのです。

 神社の近くには小村江(江は「入江」、現在の小村井)の地名もあり、昔は吾嬬神社の辺りまでが海であったことが判ります。

(3)吾妻神社と袖ヶ浦

 倭建命と弟橘媛の伝説は、いろいろなところに残っています。流れ着いた弟橘媛の衣には袖が無かったというのです。
 千葉県木更津市に「吾妻神社」(木更津市吾妻2―7―55)があります(写真2)。境内の掲示板の「神社の由緒」に次の様な説明がありました。
『祭神は弟橘媛で、社伝には日本武尊が御東征のみぎり、相模から上総へ渡る時、海上がにわかに荒れ、海に身を投じた姫のお袖が数日後、近くの海岸に漂着したのでこれを納めて吾妻神社を建てたとあります。』
墨田の古社「吾嬬神社」の由来にも通じますね。

 このことからこの付近の海辺を「袖ヶ浦」と呼んだともいわれ、現在の「袖ヶ浦市」の地名にもなっています(浦は水辺のこと)。木更津の地名は、倭建命が妻を想って発した「君去らず(きみさらず)」の言葉から付いたとの説があります。
 習志野市にも「袖ヶ浦」がありますが、この地の海岸を埋め立てた新しい土地に付けられた地名でした。この地名から、この辺りが以前は海辺であったことが判ります。現在は埋立てが進み、海岸線はここから更に2㎞も南になっています。
 「吾嬬はや」の地が都から見て東(ひがし)にあたることから「東」を「あづま」と言うようになったと伝えられていますが、郷土の歴史を調べてみると、「地名は郷土の伝承・歴史には欠かすことが出来ない大切な裏付け」になります。(写真1・2は筆者撮影)

(四)吾嬬神社との関わりが各地に

 前述の走水の地に「走水神社(横須賀市走水2―12―5)」があります。観音崎灯台のすぐ近くです。 走水神社も吾嬬神社と同様にご祭神は倭建命と弟橘媛です。いろいろな遠隔の地と繋がりがあるものですね。

 図2は、吾嬬神社と関わりがある神社・地名の所在地を記してみました。

 墨田区にもこの様に、歴史的伝承にもとづく旧跡があるのです。機会があればそれぞれの地を歴史散歩してみてはいかがでしょうか。