(一)江戸時代末期の北十間川
墨田区の中央を東西に、隅田川から旧中川までの約3㎞にわたり流れている北十間川の歴史を紐解いてみます。
この川は、今から360年程前の明暦3年(1657)に発生した江戸時代最大の火災「明暦振袖火事」後に、本所地区開拓の一環として開削された人工の川です。堅川・大横川(横川とも)・横十間川・南割り下水・北割り下水、及び曳舟川(本所上水)等と共に造られました。初めは大火後の寛文3年(1663)に、大横川北端を起点として隅田川までの間約700mを木材輸送の目的で開削されました。当初は「源森川」と呼ばれていましたが、川口に架かっていた水戸邸への橋が源平橋(げんべいばし)と呼ばれていたことから、「源兵衛堀」とも言われていました。引き続き大横川から横十間川北端を結び旧中川までを完成させました。この川の名前は川幅が10間(約18m)あり、本所の北端を流れることから「北十間川」と呼び、農業用水として開削されました (区史前史より)。
この頃の押上・柳島界隈も風光明媚な田園地帯でした。
図1は、江戸時代末期の浮世絵師歌川広重画の「名所江戸百景 柳しま」です。
北十間川と横十間川の交流点で柳島橋・柳島妙見堂等、長閑な様子が描かれています。絵の左辺中央から右辺下方への流れが北十間川です。右辺の橋が柳島橋で、そこから左下方への流れが横十間川です。橋の左袂(たもと)に建つ二階建ての建物は、当時は有名であった橋本家という料理屋です。その左側の杜(もり)と左端のお堂が柳島妙見堂・法性寺(業平5丁目)です。

北十間川の奥一帯は現在の押上1・3丁目にあたります。当時の地名は南葛飾郡請地村です。後に、画面の北十間川中央辺りに十間橋が架けられることになります。左辺遠方の山は筑波山です。
(二)明治時代の北十間川
図2は、明治40年(1907)発行の「東京市本所区全図」からの地図です。
この頃は、東武鉄道も京成電鉄押上線もまだ開通していないので軌道は記されていません。この地図で、北十間川は大横川北端から現京成橋辺りの間は埋め立てられており、そこに住所番地が記されていることから既に民家が建っていたようです。
江戸時代には源森川沿岸は焼物工場のまちでした。その名残りが中之郷瓦町(吾妻橋2・3丁目)・小梅瓦町(押上1・向島1丁目)として残っています。墨田区役所・東京スカイツリーソラマチ一帯は瓦町でした。

(三)大正・昭和前期の経済発展
図3及び図4は、大正6年(1917)大日本陸地測量部発行の地図です。図2から10年後に発行した地図ですが、北十間川の様子が激変しています。
図3では、東武鉄道が明治43年(1910)に浅草駅(現とうきょうスカイツリー駅)まで開通、京成電鉄は大正元年(1912)に押上線が開通しました。
大横川北端から現京成橋の間は再度開削され源森川と北十間川は接続されました。現在もまだ、源森川の名前は残っています。
再び隅田川と中川間が繋がったことで、その途中にある東武浅草駅では鉄道の貨物輸送が水運と連携できるようになり、貨物船引き込み用の堀が開削されています。北十間川は物流の拠点となりました。


図4は、北十間川東部の地図です。
この頃、既に花王石鹸請地工場・東京モスリン会社(後の東洋紡績向島工場)・キャリコ製織会社等の大工場が建設されています。

図5は、昭和10年(1935)発行帝都地形図「吾嬬」の北十間川東部沿岸の地図です。この頃になると、関東大震災後の復興事業と共に、明治通りが完成し、北十間川北側沿岸には東京モスリン亀戸工場(現在は立花団地)・同吾嬬工場(現在は文花団地及びオリンピック)、花王石鹸吾嬬町工場(請地工場を移転)、伊藤染工場(花王石鹸請地工場跡地に建設、現在は文花団地)等の大工場が復興しています。
(四)戦後の経済復興・公害問題
戦後の日本経済復興により北十間川沿岸の様相が変ります。首都圏の道路整備が進むとトラックによる陸上輸送が中心となりました。北十間川の水上輸送はその役目を終え、貨物船引き込み用の堀は埋め戻されました。
写真1は、埋め立てた後、昭和28年(1953)建設された日立コンクリート押上工場です。
その後、岩城セメント工場も建設、戦後の経済発展・首都圏復興期の土木建築工事に貢献しました。

昭和40年代後半になると、曳舟川沿岸にあった工場群と同様、北十間川東部沿岸も、工場からの排煙による大気汚染、排水による河川の水質汚濁、産業用地下水の過剰な汲み上げによる地盤沈下等の公害問題が激化しました。昭和46年(1971)には環境庁が発足、工場に対する規制が一層強化されました。
工場移転や閉鎖が相次ぎ、東洋紡績向島工場の跡地には文花団地やスーパーオリンピック等が出来ました。
また、日立コンクリート・イワキセメント工場の両工場は半世紀の操業を経て、平成20年(2008)に閉鎖、跡地に「東京スカイツリー」が建設されました。
(五)生まれ変わる北十間川
独立塔としては世界一の高さを誇る634mの電波塔「東京スカイツリー」は、平成24年(2012)5月22日に営業を開始しました。
スカイツリーの完成に伴い、水の汚染が進んでいた北十間川には、水の浄化設備を設置し大幅に改善、魚が泳ぎ回る様子が見えるまで綺麗になりました。また、川の両側には親水テラス(写真2)が設けられました。
墨田区は「北十間川・隅田公園観光回遊路」と銘打って、隅田公園と共に北十間川周辺エリアの整備を進めました。東武鉄道の高架下は「東京ミズマチ」と銘打って商業施設になり、観光回遊路は令和2年(2020)6月に完成しました。北十間川は今や区民・都民のみならず、国内外の観光客の憩いの場になりつつあります。
