今回は、お隣の町の氏神様である「牛嶋神社」(写真1)を紹介します。
牛嶋神社が創建された平安時代当時、この地は「牛島」という東京湾の奥にある南北に細長い大きな島でした。その大きさは、北は現在の向島5丁目から南は両国辺りまでありました。島の西側は隅田川で、東側は広大な湿地帯でした。牛嶋神社はこの牛島の最北端にあった総鎮守なのです。
江戸時代に入り、徳川幕府は牛島の東側の湿地帯を開拓し、深川と共に本所の町が出来ました。
牛嶋神社の御祭神は次の三柱です。
須佐之男命(すさのおのみこと注1)
天之穂日命(あめのほひのみこと 注2)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと 注3)

神社の縁起によると、平安時代の貞観2年(860)、この地を訪れた慈覚大師円仁(注4)が、この地の庵で「須佐之男命をこの地の郷土守護神とするよう」とのご神託を得て牛島の地に神社を建立したと伝えられています。平安時代初期の創建は区内に数多ある神社の中で最も古い神社です。後に天之穂日命を、ついで貞辰親王命をお祀りし「王子権現」とも称しました。
治承4年(1180)源頼朝が大軍を率いて当地に赴き、豪雨による洪水に悩まされた時、武将千葉常胤(ちばつねたね)が当社に祈願し、全軍が無事に川を渡ることが出来たことから、頼朝は神徳を尊信し、社殿を建立すると共に、多くの神領を寄進しました。
天文7年(1538)後奈良院より「牛の御前社」の勅号を賜ったと言われています
江戸時代には江戸城の鬼門をお守りする社として将軍家の尊崇厚く、三代将軍家光は祭礼神輿渡御の御旅所(おたびしょ) の土地、現在の本所2丁目のお仮宮(かりや)の場所を寄進しました。
隅田川に沿う旧本所一帯の土地を「牛島」と呼ばれていたことから、本所総鎮守として明治初年からは「牛嶋神社」と称するようになりました。
牛嶋神社は、関東大震災までは500mほど北にある弘福寺裏に隣接した地にありました。現在はこの地に旧址の石碑(写真2)が設置されています。震災によりお社が焼失、墨堤の拡幅工事もあり、昭和7年(1932)現在地に遷座しました。

神社には、弘化2年(1845)に奉納された葛飾北斎作の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」がありましたが、関東大震災により焼失しました。
現在は原寸大の復元パネル(写真3)が社殿内に掲げられています。絵は、命(みこと)が悪病をもたらす厄神に悪事を働かない様、証文を書かせている場面です。平成28年(2016)に色彩の推定復元された絵が、すみだ北斎美術館に展示されています。(説明板より)

社殿前に「三つ鳥居」(写真4)と呼ばれる大変珍しい鳥居があります。これはご祭神が三柱であることに由来するそうです。同様の三つ鳥居は奈良県桜井市にある日本最古の神社の一つと言われている「大神(おおみわ)神社」にもあります。

境内には」「撫牛(なでうし)」と呼ばれる有形文化財の牛の石像があります。体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると伝えられています。
この他にも次のような登録有形文化財があります。
石造り神牛、石造り狛犬(享保14年銘 一対)、同(文政10年銘 一対)、力石群、烏亭焉馬(うていえんば注5)「いそかすは」の狂歌碑、石造り鳥居、社殿、神輿蔵、墨堤に残された石造り永代常夜灯(写真5)等があります。

昭和7年の遷座の際には、永代常夜灯だけが移されず、現在の桜橋際に設置されています。常夜灯の礎石部には「本所総鎮守」の銘が彫刻されています。明治4年(1871)牛嶋神社の氏子より奉納され、墨堤の牛嶋神社入口に設置されました。
常夜灯の火は附近の貴重な明かりにも利用され、設置以来、墨堤を代表する風物詩の一つとして、多くの画家の絵にもランドマークとして描かれてきました。(教育委員会記)
牛嶋神社の5年に一度の大祭は、今回のコロナ禍のため一年延期し、令和5年9月に行われました。大祭は、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が、氏子50余町内を2日かけて巡行し安泰祈願を行います。鳳輦は、本所2丁目の若宮公園内にある御旅所に一泊します。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄の和牛が神牛となり鳳輦を曳きます。返礼の町神輿の宮入れは50基が連なる都内最大の連合渡御になります。昭和32年(1957)には鎮座千百年祭を執行、氏子50余町牛嶋講の守護神として崇敬尊信をあつめています。
牛嶋神社境内には、撫牛を含め牛が5頭の牛が居ます。参拝の折に是非探してみて下さい。
〈注〉
注1 須佐之男命は天照大神の弟神
注2 天之穂日命は天照大神の第五神
注3 貞辰親王命は清和天皇第七皇子
注4 慈覚大師円仁(794-864)、「慈覚大師」は円仁の諡号(しごう/贈り名で朝廷より死後贈られる尊称)。最澄(767-822)が開いた天台宗の中興の祖、仁寿4年(854)三世座主。高幡不動尊(東京日野市)、目黒不動龍泉寺(目黒区)・立石寺(山形市)・瑞巌寺(宮城県松島町)・如意輪寺(墨田区吾嬬橋)等を開山、 待乳山聖天(台東区)・浅草寺(台東区)・中尊寺(岩手県平泉町)・大慈寺(栃木県岩舟町)等の中興の祖。関東・東北に500を超える社寺の開山・再興に尽力。円仁は没2年後の貞観8年(866)に日本で初めて清和天皇より「慈覚大師」の諡号を、併せて宗祖最澄は「伝教大師」の諡号を、2人同時に贈られた。
注5 烏亭焉馬(1743‐1822)は江戸時代後期の戯作者(げさくしゃ)。落語中興の祖ともよばれている。
