曳舟川は現在どのようになっているのでしょうか?
私は、地図を頼りに水源の越谷市から曳舟川(本所上水)跡を辿(たど)って墨田区まで実際に歩いてその痕跡を確認してきました。平成25年(2013)のことです。
写真5は、本所上水の水源「瓦曽根溜井(かわらそねのためい)」です。埼玉県越谷市瓦曽根の元荒川に設けました。図2は、水源から現在の曳舟川通りの「スカイツリー駅北交差点」までの水路を示した地図です。本所上水はこの溜井から、既に出来ていた灌漑用の葛西用水に並行して開削されました。ここから草加市・八潮市を南下して都内に入り、足立区の大谷田橋交差点(環七通り)、葛飾区亀有・お花茶屋を経て四ツ木で水戸街道を斜めに横切り、新四ツ木橋に沿って墨田区に入ります。更正橋交差点を経てスカイツリー駅北交差点まで、水源からの距離が約22㎞ありました。
上水の上流域自治体の中には、工夫した水路を設け、往時の痕跡を残したり、上水沿いに遊歩道を設ける等の整備をしていました。また、上水跡は、自治体により上流・中流・下流域でそれぞれ異なった名称になっていることが判りました。それぞれの流域の現状は以下の通りです。
写真6は、水源の越谷市「瓦曽根溜井」から1㎞ほど下流です。本所上水と葛西用水の間の仕切り土手は江戸時代に撤去され、現在は川幅が広い葛西用水として管理されており名称は東京葛西用水となっています。川縁の樹木の陰では、多くの人たちが釣りを楽しんでいました。水源からの越谷市内の土手道は、この先にあるJR武蔵野線を挟んでほぼ整備されて、全長約3㎞のプロムナード(遊歩道)になっています。
写真7は、草加市青柳地区の様子です。市内の葛西用水の距離は約3.5㎞ほどあります。その内1.3㎞の両岸には、450本のソメイヨシノを植えた桜並木で、花見シーズンには大変賑う様です。また、「ヘルシーロード 葛西用水コース」と名付けたプロムナードが2.6㎞続きます。
民家が少なく田畑が広がった長閑(のどか)な田園地帯が、まだ散見できます。川面には鷺(さぎ)・鴛鴦(おしどり)・鴨等の水鳥が遊んでいました。(写真8・9)
写真10は、八潮市緑町を流れる東京葛西用水(右側)の側道で、「松の木どんぐり遊歩道」の名前がついていました。遊歩道は草加市から八潮市に続き、全長約4.5㎞あります。平成25年(2013)の探査時には、八潮市の遊歩道から先は東京都との境まで工事中でした。今は整備されて素敵なプロムナードに変貌していることでしょう。
都内足立区に入ると景色は一変します。写真11は、足立区内に入って直ぐにある親水公園の葛西用水親水水路です。狭いながらも葛西用水であった証の水路を設けています。親水路内にある水路は流れのあるビオトープ(*1)で、小動物や植物の生態観察が出来ます。昆虫等に興味を持っている子供たちが、捕虫網を持って駆け回っていました。また、流れに添った遊歩道は区民の憩いの場で、人々が思い思いに散策を楽しんでいます。
葛西用水親水水路の東側の道路は道幅が広く、足立区東部の南北に走る交通の主要道路になっています。この通りの名称は葛西用水桜通りです。通りの両側は、ゆったりとした幅広い歩道で、桜並木になっています。葛西用水親水水路は環七通りの大谷田橋交差点の暗渠を経て葛飾区との区境まで約3㎞続きます。
葛飾区内に入ると曳舟川親水公園の名称になっています(写真⒓)。曳舟川を埋め立てた跡は、中央に流れのある水路を設けた親水公園になっています。公園の規模は、全長約3.5㎞、幅は元の川幅の9~10mほどで、細長い公園です。
公園の西側(写真の左側)は、区内を南北に走る道幅が広い主要道路です。東側(同右側)は一車線の道路で一方通行になっています。曳舟川であった頃、亀有から四つ木までの間は、川を挟んで両側に中居堀と千間堀がありました。これを一体化して造ったので公園も道路も幅を充分にとれたのでしょう。
公園内には東屋、緑道、桜並木、藤棚、田圃(たんぼ)・水路等を設け、足立区同様のビオトープです。水遊び場もあり、子供から高齢者まで多くの区民の憩いの場になっています。公園内を横切る道路に、川であった頃に架かっていた橋の名を所々に残しています。後日、桜の開花時期に訪れてみましたが、公園いっぱいに枝を張った桜が凡そ3㎞続く様は実に見事でした。水路があるのは曳舟川親水公園迄です。
公園の南端は直ぐに水戸街道です。ここを斜めに横切り、新四ツ木橋を渡ると墨田区に入り曳舟川通りになります。墨田区内は、曳舟川全面を埋め立てて道路にしており、川の名残りはどこにもありません。
〈注〉
*1 ビオトープは、野生の動植物が生態系を保って生息できる様に整備した環境。または、公園などに作った野生の小生物が生存できる環境のこと。