「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

「曳舟川つれづれ草」の連載について

皆様も既にご承知のとおり、今年5月まで、当町会の副会長としてご活躍頂きました横井正男氏におかれましては、先年、現在は暗渠となっている曳舟川の歴史を中心に「曳舟川つれづれ草」と題する郷土史を上梓されました。 横井氏は、同氏が生まれ育ったここ向...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

はじめに

「曳舟川つれづれ草」コーナーの連載を担当させていただく向島四丁目北町会々員の横井正男です。平素は町会の役員さんはじめ会員の皆様方には、大変お世話になり感謝申し上げます。  私は曳舟川通り沿いの現在地で、昭和16年(1941)に生まれ、地元は...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

序章 曳舟川はどこに
1.曳舟川通りとは

「曳舟川通り」(写真1)は国道6号 (通称水戸街道)の迂回路として活躍する交通の要路で墨田区北部(向島地区)のほぼ中央を南北に走る区道です。 <写真1> <写真2>「曳舟川通り」の南端「とうきょうスカイツリー駅北交差点」から北方の東武曳舟駅...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

序章 曳舟川はどこに
2.曳舟川上流の現状

曳舟川は現在どのようになっているのでしょうか?  私は、地図を頼りに水源の越谷市から曳舟川(本所上水)跡を辿(たど)って墨田区まで実際に歩いてその痕跡を確認してきました。平成25年(2013)のことです。 写真5は、本所上水の水源「瓦曽根溜...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

第1章 曳舟川のはなし
1. 本所上水(一)

曳舟川の起源は「本所上水」であったことは前号で述べた通りです。そこで、本所上水の歴史について調べました。 (1) ことの発端は明暦の大火  徳川氏により江戸に幕府が開かれて半世紀後、4代将軍家綱の時代、明暦3年(1657)1月18日に本郷(...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

第1章 曳舟川のはなし
2. 本所上水(二)

(3)深川・築地の開拓 話は前後しますが、天正18年(1590)、徳川家康は江戸城を居城に定めました。この時、重要な物資のひとつ「塩」を行徳(千葉県市川市)の塩田に求めました。ところがその輸送の船は、東京湾奥が砂州や浅瀬が広がっているため、...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

第1章 曳舟川のはなし
3. 江戸時代の曳舟川(一)

(1)古上水に「曳舟」 上水としての役割を終えた享保7年(1722)以降、古上水の水路は運河として農作物等の輸送に使われました。記録がないので定かではありませんが、早い時期からであったと考えられます。 古上水の川底が浅かったことから、輸送用...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

第1章 曳舟川のはなし
4. 江戸時代の曳舟川(二)

(3)幕末期の向島絵図から  図3は、安政3年(1856)に発行された版元尾張屋清七の「隅田川向嶋絵図」です。元の絵図は、江戸城方向である南の方角を上にして描いています。見易くするために、元の絵図を逆にして、北の方角を上にしました。  観光...
「曳舟川つれづれ草」(横井正男著)連載

第1章 曳舟川のはなし
5、明治以降の曳舟川(一)

(1) 曳舟の廃止 曳舟は、広重の「江戸名所百景」の絵にも描かれ人気がありました。しかし、明治に入り人力車や荷車等の輸送手段の進展があり、曳舟の利用者が減り、明治15年(1882)頃には廃止されました。 小梅から四ツ木間の曳舟も、この頃に廃...